タナトスに告ぐ別れ

元祖1式は私を救ってくれるのかという実験日記です。

顕在意識は自分ではないと言うこと『再スタート2日目』

昨日、今日と仕事がお休みなので家でただひたすら思考停止をしたり思考してうわーってなってしまったりを繰り返しています。

 

そんな中で気づいたことがあります。

顕在意識は私ではない、自分ではないと言うことです。

と言うのも、何度も今まで書いてきたように私は母親の影響をすごく受けて育ってきました。

悪い意味で、です。

人と接する時に謎に「優越感」というか「自慢げ」と言うか「上から目線」と言うかなんとも言いづらいのですが、そういった人を見下したような感覚がよくありました。

どうせ私よりすごくない、私より苦労してない、生ぬるいだろうみたいな。

多分、相手にも伝わってたんじゃないかな、と思います。

どうしていつも、そんな感覚があるのかよくわかっていませんでした。

でも、今日ふとこれって私じゃなくて母親の性質なんじゃないかなって思ったんです。

 

前に彼に「自分がいかに母親の影響を受けていて、その影響がどれだけ大きいか自覚しろ」と言われました。その時は自覚したつもりだったんです。

自分の中に母親の感覚があるな、ぐらいで。

 

でも、実際にはほとんどが母親の感覚でした。

頭の中で思考していることも、ほとんどが。

いつも必要以上の焦りや不安を抱えていたのも母親がそうだったんだと思います。

焦る必要も不安を抱える必要もないのにいつも頭の中に渦巻いていたのは、母親がそうだったから。そして、そんな母親に育てられたゆえにそれが私にも染み付いている。

そうなんだと思いました。

だから、簡単に人を傷つけてしまうような言葉を発してしまう。常に自分のことばかりで人のことを考える余裕すらない。

 

 

だから、もう顕在意識を捨てようと思えました。

こんな感覚、いらない。無駄。私でもなんでもない。

顕在意識は捨てて、完璧な潜在意識に全てを委ね任せよう。

潜在意識が全て知っている。本当の私を知っている。私の幸せが何かを理解している。

だから、顕在意識の私と言う皮を被った母親のことなんてもう捨てる。どうでもいい。

これに気付いたら少しだけ今はまだ少しだけだけど、肩がスーッと楽になったような感じがしました。

 

 

私以外の人はどうなんだろう。

普通の家庭で平和に育ったのに今現状しんどいとか辛いって言う人の場合。

そんな人でもやっぱり顕在意識はその人ではないのかな。

こればっかりは自分のことじゃないから分からないけれど、もしなんとなく理解できる人はこうして顕在意識は本当に自分なのかと言うのを疑ってみても良いのかもしれないと思いました。